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 水やりが終わって,少し足を伸ばして校区を歩いてみました。
 最近,校区の歴史を調べたりしているのですが,今は三面張りで固められている「神宮入江川」の流域は,明治以降埋め立てられて耕地化したということが気になっていました。今日歩いた道は,川沿いの耕地からは2mほど高いところを通っています。「おそらく,この道の下が埋め立てられた部分なのだろう」と思いながら歩きました。
 ボクの自宅は,そこから川をはさんで向かい側にあるのですが,昔は人力で堤防が造られていたのだとか。その一部が残っているので,そこも歩いてきました。それが川島の城山まで続いていたのだとか…。壮大な話です。

 自動車で走っていると,そんなことに気づきもしませんが,歩いてみるといろんなことが見えてきておもしろいです。

 午後は,町の中央公民館にある図書室に行って「藍畑村誌」を見てきました。他の村のように印刷製本されておらず,書きかけの原稿のコピーをファイルにはさんだものでした。それを見ながら,コンピュータに打ち込む作業を始めました。何だか気の遠くなりそうな感じもしますが,枚数はそれほど多くないのでできそうです。それよりも,机とイスの数が少ないので,ベンチに座って膝の上で打ち込むのが大変。
 県立図書館にはないので,しばらくここに通うことになるかな。その前に,校長室にないか確認ですね(笑)。

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 1学期にやり残した理科の単元。
 葉に日光が当たるとデンプンができるという話で,「学級園に青々と茂っている藍の葉はどうだろう」といつものごとく脱線して,茹でて柔らかくなった葉をヨウ素液につけてみようとしました。ホウレンソウやコマツナなら,湯にきれいな緑色が付くのですが,やっぱり藍の葉は,少し藍色がかっています。

 葉を茹でながら,「藍は,光合成でデンプンをつくるのと一緒にインディゴを作るのかもしれない…」なんてふと頭に浮かんできて,あとでインターネットでインディゴについて調べてみました。インディゴ自体は,デンプンを構成している分子(酸素・炭素・水素)に加えて窒素が必要なようですが,「これも模型を作ってみたいな…」と思いました。
 でも,藍の葉には,「インディゴ」そのものではなくて,「インジカン」という無色の物質ができるのだとか…。それを元にして「インディゴ」という色素・染料を作るのだそうです。
 どうやってできるのかが気になってきました。
 

 そういえば,去年は藍の生葉を大きななべで茹でて,食塩を加えて出た液にシルクの布をつけ込んで藍染めをしました。温度やその他の条件で,さまざまな色が出るのですが,そのときは淡い藤色に染まって,それまでにないコサージュがしあがりました。たぶん,食塩でなく,他の薬品を加えるとちがう色が出るのでしょう。そういう実験もやってみたいなあと思うのですが,あれもこれもと欲張りすぎですね…。
 今年は生葉に食塩を入れて揉み込んで出た液で染めました。「瓶覗き」とか「縹(はなだ)」とか言われる薄い藍色で,これはこれでいい色にしあがっています。
 藍葉から蒅を作るというのも気になって,思考が拡散しっぱなしの秋です。


 春からずーっと気になっていた,教室前のろうかの汚れ。
 濡れ雑巾で子どもたちとこすったりしたけれど,ちょっとやそっとではきれいになりません。
 「この夏休みの間にどうにか…」と思っていたのですが,なんやかんやで後回しになってしまい,夏休み最後の土日に作業することになりました。

 水ではダメなので,まずはアルコールを使ってみましたが,心もちよく落ちるかなという程度でした。
 そうなると,「アルカリしかないか…」という予想がみごと的中し,ドラッグストアで「セスキ激落ち君」という洗剤(?)を買ってきて使ってみたら,これがもう効果抜群でした。

 「休みの日に何をやってるんだ?」と自分でも思いますが,長い間気になっていたことがスッキリして気分がいいです。


 今日も午前中は県立図書館に行って,データの埋め込みをしていました。
 予定通り一段落したので,作業を終えて帰宅しました。

 昼間はここのところの夜更かしがたたって,グロッキー。
 ということで,夜になってグラフづくりにとりかかりました。
 まずは,「麻名用水」の恩恵を受けていて,ボクの居住地・勤務校を含む名西郡の田畑の面積をグラフにしました。
今回は,田・畑のグラフを別々に描いた後,それがうえのグラフです。緑が田,橙が畑。

IMG_1119.jpg

 2つのグラフが描きあがったところで,重ねてみました。
 どちらを見ても,「麻名用水」の完成の影響が明らかですが,2つを重ねてみると,耕地面積はほとんど変わらないなかで田が増え,畑が減っている様子がわかります。つまり,新田開発が行われたわけではなくて,それまであった畑地に利水が行われて,その一部が田に転換していったということです。
 それでも,この時代では,田と畑はほぼ半々ですが…。

 グラフの右端の後は,田も少しずつ減っていきますが,畑がどんどん減っていき,現在に至るということになります。それについては,今後の課題ということで…。グラフにはっきり現れているのは,「減反政策」の影響でしょう。ボクのなかに漠然とつくられていた「田が圧倒的に多い」という地域のイメージは,ボクが育ってきた時代の狭い範囲のことなのだということもわかってきました。
 今ボクが勤めている校区は,昭和の初めまで水稲の生産がありませんでした。つまり,畑ばっかりだったわけです。
 この地域のデータがあればおもしろいのですが,今のところ,昭和に入ってからのものしか見つかっていません。
それでも,グラフにしてみると見えてくるものがあるかもしれませんね。これもこの先,データを拾ってみます。

 明日は午後出張なので,午前中に藍畑と桑畑の面積をグラフにする予定です。
 これでまたはっきりと見えるものがあるのでは…と期待しています。


 最近,日本の中世史が気になっています。
 あれこれ本を開いているのですが,先日,学校に来てくれているW書房のKさん(OゼミOB)にお願いしていた本が届きました。

 今日,出張の合間に学校に寄ったら,職員室の机の上に置いてくれていました。
 さて,ボクの知りたいことが書かれているでしょうか?

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