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 職員が2人休んだ。
 体育の補教に入ってもらったK頭さんが,脚の筋肉を痛めて病院へ。

 ボクよりもずいぶん年上だけれど,「対岸の火事」というわけにはいかない。
 昨日考えていたことを実行していくことにする。

 かといって,急激に体をうごかすのは危険。
 しばらくは,長らくほったらかしにしていたバランスボールとストレッチポールを使って軽めのメニューから始めることにしよう。
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2010.05.30
 いい加減積み重なってきている年度末からの疲れが,ここのところ吹き出してきている。

 今週は,できるだけ早く帰るようにして,夜も早く寝ることにしてきたが,なかなか疲れが抜けない。

 今日は,午後ゆったりと過ごした。
 体が重かったのが,ずいぶん緩和されて,軽くなった気がする。

 これまで以上に体のケアが必要だな。
 足の踏み場もない…

 という仕事部屋の状況を脱却しなければならない。
 かといって,一気に進めることは無理。

 ということで,ちょっとずつ本の整理を進めることにした。

 少し,床が広くなった。
 金曜日は,5・6時間目に4年生2クラスの理科。
 今日は,どちらのクラスも乾電池の直列つなぎについて授業した。

 ここは,授業書《電池と回路》の直列つなぎの問題を使わせてもらった。
 並列つなぎと合わせて1時間でトントン進もうと思っていたのだけれど,どちらのクラスも子どもたちからいろいろ意見が出てきて,直列つなぎだけで終わった。

 本当は,「教科書の中身をトットと終わらせてしまいたい」と考えていたのに,安易に授業書の問題をもってきたことがあさはかだったなぁ…と反省。


 子どもたちの認識過程にあっているのは,間違いなく仮説実験授業だ。
 《電池と回路》をやればよかった。
 最近,「同じ授業を別のクラスでするというのもおもしろいものだ」と感じている。
 専科も悪くはない。

 昨日松組でやった授業を,今日は竹組でやった。
 今日の授業はまた,昨日以上におもしろくなってしまった。

 
 ボクにとってはそれだけで十分だったのだけれど,授業の後で担任さんから,「去年やったことが身についていないことがよくわかりました」という反応がかえってきた。

 その意図するところはボクにはよくわからないけれど,今日の授業でも,昨日の授業と同じように「去年やったはず」の内容についての予想がことごとく分かれていた。もしかしたら,去年授業をした立場からすると,「自尊心を傷つけられた」のかもしれないなあと後で思った。

 でも,おそらく,大人相手に今日の授業をしても,同じような結果になっただろうとボクは思っている。
 教科書で学習した中身なんてそんなものだ。

 個別の知識は剥落してしまうもの。
 でも,それぞれの知識がつながりをもったものとして,意味あるまとまりとしてとらえることができれば,ものごとを見る目が変わってくる。そこに授業の値打ちがあるのではないか。
 なぜそれを教えるのか,それを教えることで子どもたちにどのようなものの見方を育てるのかが明確にある授業書と,それがない教科書とのちがいは大きい。

 いい加減なことをしながら,そんなことをふと思った一日。
 モーターカーの組み立てが一区切りしたので,授業を進める。

 今日は,まつ組で「去年のおさらい」と称して,《自由電子が見えたなら》の一部の途中までの流れをたどった。
 「去年教科書でやっている中身だから…」と高をくくっていたけれど,子どもたちの意見はけっこう分かれてしまっておもしろいことになった…(^_^;)

 一つひとつ理由を言ってもらうとさらにおもしろかったのではないかと思うけれど,今回は「電気をとおすものは…」に一区切りつけたかったので,〈予想をたてたら実験〉で次から次へと進めていった。

 この時間,つまらん授業だと教室にいられないSくんは最後まで教室にいて,予想に手を挙げ続けた。彼は,今回「モーターカーを組み立てることができる」と思って教室にいたらしい。最初の期待には背くことになったけれど,「たのしんでいた」という担任さんの言葉もあったから,結果オーライというところか。

 ものしりのMくんは,「石墨」のことにいたく感心したようで,「へぇ~,それは初めて知った」「知らんかった」を連発していた。

 ワイワイと言いながら,たのしい1時間だった。
 今年もクラブ活動の担当は,科学クラブとなった。

 授業に入っている4年生が多い。
 事前のアンケートで,4年生の主任さんからは「第3希望までに〈科学クラブ〉を入れている子どもが半分以上いましたよ」と聞かせてもらっていた。

 今回は,役員を決めたあと,掲示板に貼る「クラブ紹介」のポスターを作ってもらわなければならなかったので,それを6年生にお願いして,あとの子どもたちには「漢字の宝島」をやってもらった。

 さて,今年はなにをしようかな…。
 一昨年度に学校を変わった事務のOさんから,「事務職員の研究会で発表する実践事例にうちの職場でのことを入れたいので,教員の立場で聞き取りをさせて欲しい」という依頼を受けた。

 今日の夕方,Oさんと四国の発表をする人が職場に来て,しばらくインタビューを受けた。
 
 学校が変わって1年以上経つにもかかわらず,うちの学校のことでさんざんお世話になっているOさんなので,できるときに恩返ししておかなくては…と思って,「ボクで役に立つことがあればいくらでも」と返事をさせてもらった。

 と言いながら,ボクがしゃべれることなどそうたくさんあるわけではない。
 質問されたことにはできるだけていねいに答えさせてもらったつもりだけれど,Oさん,あんなものでよかったのでしょうか?
 朝から夕方までゆったりとすごすことができた。

 リフレッシュできてありがたかった。
 午後,組合の執行委員会。
 定期大会の議案書最終検討。

 会場はいつもの場所ではなく,とくぎんトモニプラザ。
 「青少年センター」と以前は呼ばれていた施設。

 大学生のころ,ここのトレーニング室をよく使わせてもらっていた思い出の場所でもある。
 この施設の象徴だった室内プールが無くなり,内部は改装されてきれいになっていた。

 今日もノーミソは働かず。
 
 職場を早めに出て,組合の常任執行委員会へ。
 会議中はあまりノーミソが働かず…(-_-;)

 帰る前に,後藤さんに夏のわくわく科学教室のことを伝える。
 彼からは,「若い人たちに算数の講師をしてほしい」旨を伝えられた。
 職場の若い人たちのことも頭に浮かべながら,了承。
時刻ものさし

 特別支援学級の授業公開。
 3年生のY君が,時間の勉強をしていた。
 
 教科書では,時刻と時刻の間を求めることで時間を教えることになっている。
 ところが,これがそう簡単ではない。

 Y君が苦労している様子を見て,以前に市原さんから預かった教具のなかに「時刻ものさし」があったことを思いだした。
 明日もっていってみよう。
パラドクス

 先日もらったおみやげ。
 細かなビーズが上にあがっていく逆砂時計。

 職員室の机の上に飾って,ちょっと疲れたときに眺めて癒されている。
 自分にとってはそれほど重要とは思えないけれど,それがないとあちこちで差しさわりが生まれてしまうということがある。
 担任を離れて,教務などという立場に立たされると,そういうものにかかわる度合いがグンと多くなる。
 「そんなのはオレの仕事じゃない」と切り捨てることもできるのだろうけれど,残念ながらそれができないのがボクの性分。それで年々仕事がふくらんでしまっているという悲しい現状。

 できることならそんなものはサッサと片づけて,生産性のある仕事にかかっていきたい。
 だから,効率よく処理するために,「あとはボクがやるから,これだけしてくれる?」と最低限のことを依頼する。
 すると,ほとんどの人がスッと出してくれるなかで,状況を知ってか知らずか催促しても出さない人間がいる。

 そういうことが一度ならず二度三度と度重なってくると,その人に対する人物評はボクのなかで不動の位置を占めることになる。

 その人が「子どもが宿題してこない…」なんてボクの目の前で言ってたら,なんて返してあげようかな…とイライラしながら考えている今夜。
 1週間のスタートは気だるい…。
 と思っていたら,朝からドタバタ。
 夕方までいろいろ動き回って仕事終了。

 今日は職場を早く出て,人と会う。

 気心知れた人と共にする時間は穏やかで心やすまるけれど,過ぎていくのが早い。
 週の始まりに,「がんばろ」と思えるのは幸せだな。
 この前,ある人から,「行政職だったら,あなただけ超過勤務やったら10万円超えるよ」と言われた。
 でも,教員にはそんなものはない。
 「なんの特典もないのによくやるわ」と自分でも思いながら,今日も休日出勤。

 詰まっていた仕事が幾つか片づいて,スッキリ。
 これで来週からずいぶんスムーズになりそう。

 おまけに,今年は「教員評価」の試行校になってしまったので,その書類も作ってしまった。
 これも提出拒否しようかと迷ったけれど,今回は妥協することにした。
 それにしても,こんなことで「資質向上」につながると県教委が本気で考えているとしたら本当におめでたい話である。

 現場は,この紙切れを作るために一人ひとりの教員が時間を削りだしている。
 おまけに,これから1人あたり30分以上のヒアリングを行うことが決められている。そして,これが年度末までにもう1回あるらしい。つまりヒアリングだけで教員1人あたり1時間。

 ボクらヒラは1時間でも,その全員を相手にする管理職は×人数分となる。
 うちの職場は,該当職員が二十数人いるから,丸1日以上の時間をこのためだけに生み出さなければならない。
 でも,勤務時間は7時間45分だから,単純に詰め込んでも丸3日がこれだけに浪費される。
 もちろん,そんな詰め方ができるはずがない。みんな毎日授業をしているのだから,一体何日かかるのか楽しみ。
 このヒアリングを「勤務時間内に行え」というお達しが出ているのだそうな。
 笑い話のような本当の話。
 

 で,管理職は,このうえに評価のために授業を見て回るんだとか…。
 これまでやっていた通常業務は減ることはないだろうから,これから管理職の時間外勤務が増えることだろう。

 エライ人というのは,どうしてこうもくだらないことを次から次へと考えつくのだろうか…(-_-;)
 こうなると,学校現場のことなど何もわかっていないというよりも,「学校現場のことなどどうでもいい」と考えているのかもしれないと思ってしまう。
 

 頼むから,子どもたちとふつうに授業する時間を大事にさせてくれ。
 それ以外の余計なことはしてくれなくていいから…。
 心からそう思う。
 5月のサークル定例会。

 今回も,小野さんと2人。
 いろいろ話をしながら,「仮説実験授業と出会っても,それをやる人とやらない人がいる。そのちがいはなんだろう」という話に…。
 結局は「感性としか言いようがない」のだけれど,子どもたちの表情や雰囲気を「気にすることができるかどうか」ってけっこう大きなことだという気がする。

 その話の流れで,ボクの2つのレポートを読ませてもらった。
 1つは,今の理科の授業のこと。授業書以外でも,あれこれとおもしろい。モヤシ一つでいろんな広がりが見えてくる。
 もう一つは,気になっている子どもの去年と今年の様子。そして,それにかかわる教員のこと…(ちょっと辛辣なのでここには書けない)。

 小野さんから,「岡本さんは,仮説実験授業をずっとやりつづけてきて,その世界を知っているから,教科書の世界でもそれだけで終わらずにいろいろできるのだ」と話してもらった。その話を聞きながら,「ああ,そうなんだろうなぁ」と納得。

 ボク自身,これまでにいろんなクラスを見せてもらって,驚くことに教科書通りの授業をする人がけっこういることを知った。
 教科書以外に選択肢のない世界に生きていると,「そういうものだ」と思い込んでしまって,それ以上を求めることができないのかもしれないと思う。そういう人たちのふつうの授業と,ボクのふつうの授業とはずいぶんとへだたりがあるのは当然のことかもしれない。
 そんなことを考えていたら,今月の『たのしい授業』で,淡路の扇野さんが書いているイエローページのことを思い出した。

 そのあと,小野さんが手がけている研究の今を聞かせてもらった。
 ここ最近,これがたのしみで仕方がない。
 先月話してもらった「虹の色数」の認識に関する研究が完結し,現在は「ドイツの大学における転学の自由」に関する研究が進んでいるとのこと。
 その話を聞かせてもらうだけで,あれこれと想像と考えが広がっていく。創造的な研究というのはそういうものだろう。これもまた,どのように研究が進んでいくか,最後にどのようにまとまるのか,とてもたのしみである。

 最後に,進まない冬の大会の現状と,夏のわくわくの話をして終わった。

 午後のキミ子方式は,今回も人が集まらず流会。
 「ま,いいか」と言いながらも,昨日の研修のことが一日気にかかりっぱなしだったけれど,そのことについては誰とも話をすることなく夕方になった。

 明日のサークルのために買い物をしようと思って,いつもより早めに職員室を出る。

 ボクが下駄箱のところでくつにはきかえていると,同僚のMさんが慌てた様子で印刷室の窓を開けた。
 そして,「先生,ありがとうございました」と言いながら頭をさげる。

 その様子を見ながらしばらく考えたあと,思い当たることがないボクは,「…なんでしたっけ?」と尋ねた。

 すると,Mさんは「昨日の研修でのお話ですよ。ああいうふうに話してくれて,私は本当にうれしかったんです」と言う。そして,「ありがとうございました」と再び頭をさげる。


 なんだか申し訳ないという思いがふくらむ。
 ありがたいのは,頭をさげたいのはこちらの方だ。

 昨日の話は,自分の思いを吐きだしはしたものの,それでまわりの職員の理解を深められたわけでも,意欲をもたせられたわけでもない。人によっては拒絶感すらもたせてしまったかもしれないと思う。それがボクのなかに残るモヤモヤの原因。

 でも,Mさんの言葉に「また,がんばろ」と思えた。
 Mさん,ありがとうございました。
 午後,校内研修。

 この時間帯に出張するK頭さんから,まとまって話をするように頼まれた。
 ボクなりに思っているところを話したけれど,それがよかったのかどうなのかが自分ではよくわからない。

 でもまあ,ボクの話に対して,自分の経験や思うところを返してくれた人がいたので,まあいいか。
 この手の研修で,これだけの人が口を開いたのは久しぶり。


 自己満足の世界かもしれないけれど,「子どものことをとやかく言う前に,教師自身が自分のやっていることを見つめ直すべきだ」というのは,間違っていないと思う。

 はるか昔,「岡本さんの話は,(その中身が)わかっている人にはとっても厳しい内容だと思えるのに,わかってない人にはとっても柔らかく聞こえてしまうね」と言われたことがあったっけ…。

 あのころから,ボクはあんまり成長していないみたいだ。
 先日,うちの組合の書記局が理不尽な目に遭った。
 今日は,それに対する抗議集会があったので,職場を早めに出て参加。

 ボクが想像していたよりはるかにたくさんの人が参加していて,会場となった部屋は満杯だった。

 日頃,「ボクらの当たり前って,もしかしたら当たり前ではないのかも…」と思うことはけっこうある。
 そのたびに,自分が少数派であることを自覚するけれど,だからといって,事実とは違う宣伝をされてバッシングされるいわれはない。

 言った者勝ち,やった者勝ちがまかり通る世の中は,おかしな世の中だと思う。
 今日はバス遠足。
 3年生について,「さぬきこどもの国」へ。

 あいにくの雨で外では活動ができず,すべて屋内での活動となったのが残念。

 高松空港のすぐ隣にあるので,発着する飛行機がよく見える。

 昨日つれあいと交換したカメラのテスト撮影をいっぱいした。
 まあ,それなりに写っている。やっぱり腕の問題か…。
 と大きな声で言うと機嫌を損ねるので,黙っておくことにする。
 
さぬきこどもの国


 夜,遅くまで残って仕事をしていたら,とある事件が発生。
 気色が悪い…(-_-;)
 つれあいのデジカメとボクのを交換。
 しばらく使ってみようと思う。

 メーカーのホームページを見てみると,撮影テクニックのページがあって,なんと機種ごとにその内容にかかわる操作方法がていねいに説明されている。
 たのメーカーにもあるのかも知れないけれど,ボクは初めて見て「スゴイな」と単純に思った。

 こういう細やかさというかていねいさに,ボクはついつい惹かれてしまう。
 なんとなく好きだったメーカーだけれど,今回のことでさらに好きになった。

 天気が怪しいけれど,明日は遠足。
 子どもたちの姿をいっぱいとって,試してみよう。
 さっきまで『鉄腕ダッシュ』を見ていた。

 以前に実験していた大型の「すっとびボール」に再挑戦。
 残念ながら,今回は塚本さんは登場しなかった。

 しかし,直径30センチのスーパーボールの威力は大きく,トップのボールが西武ドームの天井にぶつかっていた…。

 スゴイ。
 朝5時に起き出してシャワーを浴び,学校へ。
 今日は6年生が修学旅行に出発するのでその見送りに…。
修学旅行10
 見送った後,1時間あまり職員室で仕事をする。
 これで,明日は少し楽になるかな。

 その後,家に帰って後藤田先生からお預かりした本の整理にかかる。

学研学習大百科事典
↑上段は『学研学習大百科事典』。以前に小野さんから,この事典の「編集を指導した人たち」に板倉先生が名を連ねていることを教えてもらった。
 その下の段は,『心に広がる楽しい授業』(「新算数・数学教育実践講座」刊行会)のシリーズ。刊行会の代表は銀林先生。
 
算数古書1  算数古書2
↑こちらは,算数と国語関係。

 はみ出た分をどのように整理するか,それが問題だ… (-_-;)
 通夜,葬儀の流れのなかで撮影した写真を整理。

 この前買ったボクのデジカメよりもスペックが高いはずのつれあいのデジカメ。
 それなのに,ブレやピンぼけがひどい。特に室内撮り。

 設定や腕の問題もあるけれど,この製品自体の特性もあるのかなと思うところがある。
 ボクの買ったものが半型落ちで特価だったとはいえ,金額でいうとほぼ倍したんだけど…。

 つれあいのとカメラを交換した方がいいのかもしれない…。
 昨日は葬儀のため一日休みをもらったので連休明け初出勤となった。
 
 子どもたちの顔を見るとホッとする。

 5時間目,6時間目は4年生両組の理科。
 この前の授業で,「タネからまず出てくるのは根だ」という話をした流れで,「モヤシは根」と間違って言ってしまったので,今日はモヤシの実物を持ち込んで,子どもたちに見てもらった。
 そのうえで,前回の発言を訂正。

 モヤシは「根・茎・葉」がそろっている。

 「担任していたら,このあとキミ子方式で絵を描いてもらって掲示物も作れるし,サッとゆでるか炒めるかして食べてもらうのもいいなあ…」なんて思いながら,モヤシを見つめて「食べてもいい?」という子がどちらのクラスにもいることに笑ってしまった。
 葬儀というものは,なかなか遺族の思いだけでは進まない。

 計画の段階でも,親族の中で〈従来の宗教観を大事にしようとする人びと〉と〈義母の信仰を大事にしようとする人びと〉とがせめぎ合っている。それを聞きながら,その議論のもっと根源的なところで考えてしまっているボク。でも,口に出せば大喧嘩が始まるか,その場を凍りつかせるかのどちらかになるのは明らか…。そのなかでポツネンと独り,意識のうえですごく離れたところから見てしまっているボクは,「ああ,自分は〈非常識人〉なのだ」という自覚を強くする。

 葬儀自体も,以前からつれあいは「家族・親族だけでひっそりと…」と言っていたのだけれど,ある事情からそうもいかなくなった。そして,最終的には通夜も葬儀も,おまけの部分の方が大きく膨れあがってしまった。
 義母がそれだけ多くの人びとにかかわって影響を与えた証であり,それはそれで意味のあることだろうし,つれあいやその家族が感謝しているので,結果オーライというところか。
 そこでもまた,違和感を感じてイライラしてしまっているボクがいた。そして,「板倉先生の『私の研究論と組織論』を読み直そう」ということが頭に浮かんだ。
 やはりボクは,宗教のなかでは息が詰まる。

 葬儀で導師をしてくれた方が,「また生まれ変わって…」ということを言っていたけれど,葬祭場で骨になった義母を見て,「〈輪廻転生〉という言葉をつかうとするならば,それは人間の体を形成していた原子が自然に戻るということだ…」とひとり確信し,ホッとする。

 ボクが死んだら,葬儀は無用。
 代わりに仮説実験授業の講座や研究会を仲間が開いてくれたらいいな。

 葬儀が終わってつれあいの実家に戻り,遺骨と位牌と遺影をまつる。
 これから日常のくらしにもどるなかで,「ああ,お義母さんはもういないんだなぁ」ということに気づき,悲しさというよりも寂しさを感じるのだろうな…。
 葬儀が明日になったので,少し時間ができる。
 朝のうちに,昨日しきれなかった仕事を片付けに職場に行く。

 そのあと,東京から来る親戚を迎えに行く。
 いとこに会うのを楽しみにしていた娘を車に乗せるために,一度つれあいの実家に行ってから空港へ。

阿波おどり空港

 徳島空港は,この4月から「徳島阿波おどり空港」として新装された。
 ターミナルビルが海よりになったので,駐車場までがとても遠くなった。
 広いロビーからは,飛行機の発着を目にすることができるようになり,開放感がある。
 
 到着した親戚を乗せて,義父が入所する施設に寄り,つれあいの実家へ案内する。

 夜は,通夜。
 5月4日朝。施設に入所していたつれあいの母親が亡くなった。

 悲しみよりも何よりも,葬儀が終わるまで慌ただしく時間がすぎる。
 でも,気持ちだけはバタバタしているけれど,ボク自身はあまりすること(できること)がなく,動ける場面以外は,つれあいの実家で時折娘の様子を見ながら,ジッと座っているしかない。

 東京から帰ってくる義母の姉妹たちがいるので,葬式は連休明けの6日に決まる。
 空いた時間に職場に行き,やっておかなければならない仕事を済ませる。

 つれあいと結婚してからこれまでの間,義母が元気だった時間よりもそうでない時間の方が長い。
 特にこの数年,認知症の症状がはっきりと出だしてからの義母を見ながら,「命」や「生きる」ということについて考えさせられた。人間というのは「〈そうしよう〉と思わなくても,脳からの信号が送られれば勝手に体が動いてしまう」し,「〈やめよう〉と思ったとしても,止めることができない」という状態を目の当たりにしたことが大きい。

 歩けないのに立ち上がろうとしては転び,床で打った顔や頭がパックリと裂けて,1か月半の間に5回も病院で縫合してもらった義母。
 施設に入ってからは,自分の力で食事をすることもできなくなった。それまで日に日に痩せていった義母が胃に孔を開けて流動食を流し込むようになると,途端に血色がよくなった。

 思いや願い,信仰ではどうにもならないことがいっぱいある。
 いや,本当はどうにもならないことばかりだ。

 科学の力で解明していないことがたくさんあるのは事実だけれど,そのなかですでに明らかになっていることから適切な手だてを打っていくことがどれだけ大切か。

 信心深かった義母の姿を見ながら,ボクは逆に唯物論者の世界に踏み込んだ気がする。
たの授201005
 『たのしい授業』の新刊が届いた。

 今月の表紙も馬場雄二さんのパズルがあり,徳島県の県章が入っていた。
 パラパラとめくり読む。

 牛山さんの「たのしい授業をやり続ける」を読みながら,中途半端な自分自身のことを考える。

 その後,おぎのさんのイエローページを読んで,若い頃に「力がある」と言われる人びとの研究授業を見たときのことを思い出した。絶賛するまわりの声に「こういうのを〈すばらしい授業〉〈いい授業〉と言うんだ」ということだけはわかったけれど,「ボクはこういう授業はできない(したくない)」と思った。教師のふつうにまみれずにこれまでやってきた自分を「なかなかいいじゃないか」と思える。


 夜は,今の職場の同期会。
 今とはちがう意味で慌ただしい日々だったけれど,そのなかで共に働いた仲間と久しぶりに過ごす時間はたのしかった。
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